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妖怪うぃき~現代にも現れる妖怪達~

妖怪……いるんですよ、現代にも。現代で起きた、妖怪達の目撃情報を紹介いたします。

放置しすぎて更新する気概も無いので、図鑑の方に統合し始めてます。過去の記事も一部図鑑へと移しているので、妖怪うぃき的妖怪図鑑の方へお越しくださいませ。

鳥山石燕って誰? って言ったヤツちょっとこぉぃヽ(*`ε´*)ノ

燕子だょ(●ゝω・)ノ

妖怪画と言えば石燕! ってほどに素敵な鳥山石燕先生なのにぃ、なぜかシラネって言う人が多くて燕子はヒジョ~に悲しぃよぉ(´;ω;`)

そこで今日は石燕先生のことをみんなにたっぷり教えてあげちゃうo(*^Ω^*)o

 

まず! 石燕先生は、狩野派の門人として絵を学んだんだYO(・ω・。)

なんで狩野派を石燕先生が選んだかというと、狩野派の祖、狩野元信が妖怪画を始めたと言われてるからだったのw( ̄Д ̄)w

つまり石燕先生はどうしても妖怪が描きたかったんだなぁって推測できるわけ☆

 

そして石燕先生の凄いところわ、今でも有名な妖怪画の数々のほとんどが60歳を過ぎてから描かれたっていうこと! 遅咲きっぷりが泣かせるぜぇ(。´Д⊂)

しかもしかも、なんとなんと、そうやって描かれた妖怪画は、仕事とかじゃなくって完全趣味で描かれたらしぃ!

TENSAIKA Σ(゚д゚ノ;)ノ

 

私達が目にする石燕先生の妖怪画わ、四つの画集からの絵なんだよ(ゝω・)

まず最初に出したのが、1776年の画図百鬼夜行(がずひゃっきやこう)」

これがヒットして、すぐに続編にあたる「今昔画図続百鬼(こんじゃくがずぞくひゃっき)」を出して、五年後にまた続編「今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)」、さらに四年後に「百器徒然袋(ひゃっきつれづれぶくろ)」を出したんだよ(*´ェ`*)

因みに、記念すべきシリーズ一作目、画図百鬼夜行の最初の絵は――

f:id:youkaiwiki:20121010194621j:plain

木魅(こだま)

 

こだまでした☆:*・゚(●´∀`●):*・゚

 

まだまだ石燕先生自慢は続くよぉぉ (((c=(゚ロ゚;qソイヤッ!

 

鳥山石燕先生わ、当然絵の技術は凄かったんだケド、それに加えてあらゆる知識がすごかったらしいんだぁ・:*:・(●´Д`●)・:*:・

当時の絵師達の中でもその博識ぶりはずば抜けてたらしくって、だからこそあらゆる宗教にも通ずる、これだけたくさんの妖怪達を描いてこれたんだって!

 

――でね、石燕先生を私がこんなに愛してる理由わ、その天才的なまでの知識量を持っているにも関わらず、とってもユーモア溢れる人だったからなんだよ(ノ´∀`*)

石燕先生の描いた妖怪画は、実はマジメな妖怪画の中に洒落とか暗喩を籠めた絵がいっぱいあるって知ってた???

私もまだ全然その真髄を堪能できてないんだけどぉ(おばかだから(TдT))、画の構図とか、解説とかに洒落が散りばめられてるんだって(*ノωノ)

もっとあなたのことが知りたぁぁぁぁぁい(((*´ε` *)(* ´З`*)))

例えばね、燕子にもすぐわかったので言えば、シリーズ四つ目の画集、「百器徒然袋」って、百鬼じゃなくて器になってるでしょ?

内容も器に憑いた付喪神盛りだくさん! 更に徒然草のパロディにもなってるっていうコダワリぶり! テンサイダッ(´・ω・`;A)

 

そして、鳥山石燕最後の渾身の洒落、教えちゃうヽ【*'皿'*】ノ

石燕先生は77歳で死んじゃうんだけど、自分の遺体を浅草の光明寺に葬るように指示したの。でね、その石燕先生の墓所のあるところは、当時の中心だった江戸城の本丸から見て、見事に鬼門(東北)の方角になってるんだってΣ(゚ロ゚;)

死んでも尚洒落た心を忘れない……嗚呼鳥山石燕先生愛してる(´;ω;`)

 

キャハ☆ みんなも石燕先生のこと、少しは解ってくれたよね? ね?

天才浮世絵師としての一面ももちろんだけど、それより死ぬまでユーモラスで有り続けたカッコイイおじいちゃんだったんだよ (・ω<)

 

ぜひ今度から、鳥山石燕の名前の付いた絵を見る時わ、石燕先生が散りばめてる(かも知れない)洒落を読み取ろうとしてみると、ぐっと面白くなるょ(゚∀゚ノ)

 

でわでわ、また石燕先生の絵と共に現れるので、その時までどろどろり~~ん

。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。