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妖怪うぃき~現代にも現れる妖怪達~

妖怪……いるんですよ、現代にも。現代で起きた、妖怪達の目撃情報を紹介いたします。

放置しすぎて更新する気概も無いので、図鑑の方に統合し始めてます。過去の記事も一部図鑑へと移しているので、妖怪うぃき的妖怪図鑑の方へお越しくださいませ。

僕と愛人と飛縁魔

ひのえんま

飛縁魔(ひのえんま)

 

妙子はリビングでテレビを見ていた。いつも通りの変わらぬ妖艶な魅力を、妙子はテレビを見ている最中だって放っている。四肢をだらしなく投げ出し、バラエティ番組を見ているその姿。みっともない等とは思わない。美しいのだ。ただただ、彼女は美しいのだ。

クスリともせず、ただ静かにテレビを見ている妙子。ここ数週間の内にこの光景は見慣れた。慣れは怖い。ただ一つ、今日はいつもとは違うことがある。

 

僕が、今、妙子の背後に立ち、ナイフを彼女の首筋に突き立てようとしていることだ。

 

 

――三か月程前だっただろうか。

僕は仕事帰りに職場の仲間と居酒屋にいて、その日の仕事の愚痴を言い合っていた。そこまではいつも通りのことだ。しかしその数時間後、僕は生まれて初めて「一目惚れ」をした。

居酒屋から出た時、店の向かい側の壁に一人の女が立っていた。そして、女はじっと僕を見た。――それだけだ。それだけで、僕は彼女に一目惚れをした。あれほど激しい衝動――情動に駆られたことは無かった。酒のせいかも知れないとも思った。しかし気付いた時には――僕は女に声をかけていた。

「一目惚れをしてしまいました」

自分で何を言っているのかよくわからなかった。僕には妻も、子供もいる。それなのに、今初めて見かけた女に、一目惚れした等と告白している。ナンパするにしてもこれはヒドイんじゃないか。

「私もです」

女は間も開けず、よく通る美しい声でそう言った。

――私もです。そうか……やっぱりそうか

なぜか、僕はそう思った。

「敦ぃ! 早くしろや!」

職場の仲間がしきりに僕を呼んでいた。しかし僕は「先に帰っててくれ」と慌てて告げた。仲間達は訝しげにしていたが――この状況をどう思ったのだろう?

その日から、僕らは人目を忍んで密会を繰り返した。女は名前を妙子といった。産まれた年は1966年。彼女はなぜかこの事をよく言っていた。僕より随分と上だ。もしかしたら年齢が離れていることを気にしていたのかも知れない。しかし、妙子からは年上という印象はおろか、年齢という概念すら感じることができなかった。それほどに妙子は、僕にとって完全で、美しい女性だった。

何度も何度も、妻には内緒で夜にはホテルに通った。彼女と過ごす夜は、それは濃厚で、エロティックで、何度となく体中が蕩けるような体験をすることができた。

一目惚れ。密会。至上の快楽。

妙子との出会いは運命――そんなことすら考え始めていた。

しかし妙子は僕に自身の事をほとんど語らなかった。仕事も、住まいも、好みも、血液型も、何も知らない。彼女が僕に与える情報は、いつも「1966年生まれ」ということだけだった。

全てが狂い始めたのは、妙子と出会ってから二か月程経った、蒸し暑い夏の夜だった。

僕はまだ幼い息子を寝かしつけてから、妻の他愛の無い話を上の空で聞いていた。

「――だから、今年は私と純太だけで行くから、それでいいのね?」

妙子の事を考える。妻の話は……なんだかよくわからない。

「ねぇ、聞いてる? 最近ずっとそんな調子だけど……浮気でもしてるんじゃないの?」

「してないよ。話も聞いてる。それでいい」

僕は全く動じることなく妻にそう言った。

苦楽を共にしてきたはずの妻。その顔が、今では酷く醜いものに見える。疲れているのだろうか。それは、僕のせいでもあるのだろうか。どうでもいい。妙子の美貌の前には、妻の顔など霞んで見えてしまう。

その時、ノックの音が聞こえた。

こんな夜中に誰が――

「おい、誰か来たぞ」

僕は妻にそう言った。面倒だったのだ。どうせまた大家が旅行の自慢にでも来たのだ。ノイローゼ気味の大家にはまともな時間の感覚など無い。ましてや海外旅行好きなのだから、時差ボケも加わって相当非常識な時間の感覚を持ってしまっているに違いないのだ。

「ノック? 聞こえなかったけど……。チャイムもあるんだし」

「けどノックされたんだ。見てきてみろよ。きっと大家だよ」

妻は怪訝な表情を僕に向けながらも、渋々玄関へと向かった。

そして――

「敦さんいますか?」

妙子の声がした。

僕は慌てて飛び起きると、玄関へと走った。

何をしに来たんだよ!

妻は玄関の前に立ち、遠くを見るような目で首を傾げている。僕は妙子を押し出すかのように玄関から出し、「ちょっと職場の仲間の愚痴聞いてくる」と強引な理由を付けて外へと飛び出した。

「奥さん、綺麗な人ね」

僕が苛立った顔で歩く背後から、妙子は呑気な声でそう言ってきた。

「妙子。あのさ、僕等の関係は理解してるよね?」

「関係? 男と女でしょ?」

妙子はいつだって迷いの無い、素直な言葉で僕と会話する。今の言葉も――本気なのだ。呑気な妙子の顔――そしてやはり美しい顔――を見た僕は、なんだか怒る気も失せてしまった。そして僕と妙子はいつものホテルへと向かった。

 

気疲れと、妙子との激しい交わりとで、僕はまどろんでいた。妙子が僕に何かを囁いている。でもうまく聞き取れない。妻の顔を思い出す。妻からのメールを思い出す。何か様子がおかしかったけれど、大丈夫? 

妻は妙子のことには触れない気なのだ。それほどに、怒っているのだろう。構うものか。妙子がいれば――おまえなど……。

 

「奥さんのこと、やっぱり今でも好きなの? もしかしたら、好きでもないのに一緒に暮らしてるんじゃないの? 私にはわかっちゃうんだよね。これだけあなたと交わって、心を触れ合わせて。わかる。全部わかる。あなたは私が好き。私もあなたが大好き。ねぇ。もう、私と暮らそうよ。あなたのおうちで、私と暮らそうよ。奥さんには消えてもらって――そして――一緒に死のうよ――」

 

気付いた時には、僕は妙子とこの家で暮らしていた。

妻はどうなったのか。記憶が曖昧で思い出せない。よく覚えていない。メール……最後に妻と交わしたメール。確か、後は頼みます――とか書かれていたような。捨てられたのか。本当に思い出せない。けれどこれでいいのだ。これこそ僕が望んだ、妙子との生活じゃないか!

 

 

――自分でも驚くほどに落ち着いていた。全ての回想を終えたところで、今僕がなぜ妙子を殺そうとしているのかは全くわからなかった

妻を失ったから? 息子を失ったから? 妙子に嫌気が差したから? 違う。そのどれもが、全く違う。わからない。けれど、僕は今、絶対に妙子を殺さなければならないのだ。

僕は静かにナイフを上へと構えた。妙子は僕の行動に気付く様子も無く、テレビを見据えている。そして妙子が――ほんの少し笑った気がした。

僕はナイフを力一杯妙子の首へと突き立てた。刺すというよりは、突く、という感触。あれほどに愛おしく、何度も接吻を繰り返した妙子の白い首に、似つかわしくない刃物が同化している。妙子は何も音を発さない。ただ、そのまま力なく倒れ込んだ。倒れ込むその姿も、この世のものとは思えぬ程に美しかった。

これでよかったのだ。こうすべきだったのだ。こうしなければならなかったのだ! でも……それは……なぜなのだろうか? ほんの僅かな間を開けて、妙子の首から鮮血が噴き出した。

 

 

僕は警察へ自首をした。どうすればいいのかわからなかったから。そして、妙子を殺したあの直後、妻から電話があったから。それが無ければ迷わず死んでいたと思う。偶然が、僕を救ったのだ。

しかし顛末は到底僕にとって理解できるものでは無かった。

警官は僕に言った。

「詳しく調べたンですが……やっぱりあなたの部屋には死体なんかありませんでしたよ。もしよろしければ……紹介しましょうか? その……病院、とかですね」

死体は無かった。僕が確かに殺した、妙子の死体はあの家のどこにも無かった。

また、妻も僕を病院に行くよう勧めてきた。

「――何度も言うけど、私はあの夜、女の人なんて見てないわよ。ノックがしたとあなたが言って、私が見に行って、それであなたがいきなり慌てて玄関に来て、一人でぶつくさ言いながら出て行っちゃっただけじゃない。どんな夢を見てたのか知らないけど、別居も離婚もしてませんよ? 前から言ってたでしょう? お盆には純太と二人でおばあちゃん家行くから、って」

誰も彼もが、妙子を見ていないと言い張るのだ。

それは妙子と出会った夜、居酒屋で一緒に飲んでいた仲間も同じだった。

僕が――おかしいのか?

何がなんだかわからなくなり、ただただ悶々と家に籠る日々が続いた。

しかしある日、僕宛てに知らない男から電話が来て――答えを教えてくれた。

 

「――私は警察関係の者です。さぞや混乱しているだろうと思いまして、これは公務外でのことなんですが、個人的に進言差し上げようと思いましてね。あなたの証言はつぶさに読ませて頂きました。まさかあれだけの内容を全てご自身で想像し、わざわざ自首してくるとは思えません。――それで、私はもう気付いたわけなんですが、実はその女性も、自らの正体のヒントをあなたに与えていたようだ。1966年生まれ……。あなたの言う妙子さんは、いつもそのことを言っていたのでしょう? 1966年がどういう年か、あなたはご存知ではないのでしょうね。干支です。干支の、丙午(ひのえうま)の年です。この年は災いが多くなる等のあまりよろしくない年でしてね、それが元になっている妖怪がいるんですよ。それが、飛縁魔(ひのえんま)です。これは美しい女性の妖怪でして、男を骨抜きにし、破滅させるんです。1966年生まれ。この世のものとは思えぬほど美しい。男を破滅させる。――どうです?

簡単には信じられないでしょうけど、いくらなんでも当たり過ぎです。そう、あなたは妖怪に殺されかけていたんですよ」

 

妖怪飛縁魔。

それが僕を殺そうとしていた。もうそれを信じるしかない。それ以外に、僕を納得させられるような「答え」はありそうにない。

しかしただ一つだけわからないのは、なぜ妙子は自分が飛縁魔であることのヒントを僕に与えていたのか、ということだ。

妙子を失ってなお、僕はそれが妙子の本物の愛情であったように思う。本当の自分を見てほしかったのだ。本当に、僕のことを好きでいてくれたのだ。

そうでないとしたら――まだ僕に憑りついているのか。