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妖怪うぃき~現代にも現れる妖怪達~

妖怪……いるんですよ、現代にも。現代で起きた、妖怪達の目撃情報を紹介いたします。

放置しすぎて更新する気概も無いので、図鑑の方に統合し始めてます。過去の記事も一部図鑑へと移しているので、妖怪うぃき的妖怪図鑑の方へお越しくださいませ。

丑の刻参りを絶対に目撃してはいけない理由

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丑の刻参り(うしのこくまいり/うしのときまいり)

 

私は都内で小さな神社の神主をしている菅沼という姓の者です。

常々「丑の刻参り」に関する質問を頂きますので、この場を借りてしっかりと説明しておきたいと思います。あなたの丑の刻参りに対する誤った知識を少しでも正せれば幸いです。

 

まず知っておかなければならないのは、現在の丑の刻参りの作法は近年になって作られたもので(作法という言葉を使って良いものかわかりませんが)、元々の発祥となる事例は随分と異なるものでした。

宇治の橋姫の話を聞いたことはありますか? 京都は宇治に、とある公卿の娘が住んでおり、その娘は大変妬みやすい性格でした。ある日どうしても許せない女ができてしまい、貴船神社の大明神にお願いしたのです。「どうか私を鬼に変え、その女を殺させて下さい」と。それに対し大明神は、21日間宇治川に浸ることで鬼に変えてやると約束しました。その時に橋姫が身に着けた衣服が、現在でも語り継がれる丑の刻参りの元になっているのです。

現代の丑の刻参りとリンクする部分は服装だけではありません。例えば現代では、七日間丑の刻参りを続けることが呪いをかける条件になっています。これは、宇治の橋姫が最初に貴船神社で大明神に頼んだ際、7日間篭ってお願いし続けた――ということから着想を得て出た数字だとわかります。

しかし、お気付きかもしれませんが、宇治の橋姫がしようとしたことは「自分の姿を鬼にしてもらうこと」でした。しかし現代では、藁人形に五寸釘を打ちつけ、相手に呪いをかける――というように形を変えています。

どこから藁人形が出てきたのか? というと、恐らくは丑の刻参りが陰陽道とも深く関係しているからであると思います。

ご存知丑の刻とは、深夜2時~の時間帯を指し、鬼門が開く時間帯でもあります。つまりは常世より悪鬼羅刹を呼び込み、呪いをかけてもらう為にわざわざその時間に行うわけです。そして、丑の刻参りの様子はしばし妖怪や、式神といったモノを使役する様に描かれます。また、宇治の橋姫の逸話では鬼になってしまった橋姫退治を陰陽師の台頭である安倍晴明が助言をする一幕もあるのです。更に、陰陽師が使役する式神は普段は人形をした紙であったり人形であったりします。これが、後世に伝わるにつれて歪曲し、現在のような「藁人形に釘を打ちつける」という形になったのではないでしょうか。

 

もし万が一、丑の刻に神社や森から釘を打ちつけるような音が聞こえてきたとしたら……あなたは見たいと思いますか? それとも怖くなり逃げ出すでしょうか?

助言しておきましょう。

決して見に行こう等と考えてはいけません。

なぜなら、丑の刻参りのルールの一つに「誰かに目撃されてはならない。もし見られたのなら、その相手を殺さなけれなならない」というものがあるからです。

陰陽道に呪詛返しというものがあります。――人を呪わば穴二つ――呪いをかけるには、自分もその呪いの影響を受ける覚悟が無ければなりません。また、冗談や遊びではないわけですから、もし誰かに見られ、呪いが自分に返ってくる――あるいは無効になるようなことを避けるべく、見られた相手は殺さなければならないのです。

 

――さて。肝心な所はそのルール云々ではありません。今この現代にも、本気でそれを信じ、実行している方が少なからずいるということです。

これはただのオカルトな話では終わらないのです。

もしあなたが遊び半分で丑の刻参りをしている方に近付き、イタズラでもしたとしましょう。しかし相手は本気なのです。あなたがどれだけ謝り、逃げたとしても――丑の刻参りをしていた方にとってあなたは「どうしても殺さなければならない相手」になってしまうのです。

これが、丑の刻参りを目撃してはいけない――目撃すべきではない理由です。

 

丑の刻参りの効果自体はわかりません。事実、私は境内が自分の庭のようなものですから、数回丑の刻参りを目撃してしまったことはあります。しかし、見てしまったからと言って何か呪い的な作用を感じたことは一度もありません。

ただ一つ。

丑の刻参りをしている方は、正常な状態でいる私には人間には見えませんでした。その姿は鬼そのもの。

現代的な藁人形という術を行いながらも、彼らは古来の儀式に則り「鬼」になってしまっているのかも知れません。

呪いをかける――誰かを呪う――そういった行為は、たとえどんな理由があろうとも、自身を鬼にしてまですべき行為では無いと私は考えています。私自身体験したわけではないものの、丑の刻参りを見た時の感覚から言って、呪いのような何かは存在する――そんな気がしてしまうのです。