火葬場では「火車」にだけ気を付けて
火車(かしゃ)
あまり人に自慢できる仕事ではないような気もするのですが、私は火葬場で働いています。元々人の死に興味があるとかでこの仕事を選んだわけではなく、ただ求人広告の「斎場スタッフ」というものに応募し、面接に行ったら火葬場だった……といった経緯でこの仕事をしています。
亡くなった方のの遺体を焼いたりすることは、慣れれば単調な日々の仕事になりますし、特に何か嫌なことがあるわけではありません。この仕事はなぜか人気も高いようで、募集していない時期でも応募の電話がかかってきたりします。離職率が低いのがその原因らしいのですが、私としては特に魅力を感じるような仕事でもないような気がします。
この仕事をしていて一番衝撃だったこと。それが、妖怪「火車」です。
火車は、葬儀に関わる業者さんの間ではかなり有名な妖怪らしく、公にはされないものの必ずどの業者さんも火車対策をしています。
妖怪「火車」が葬儀業界にどのように迷惑をかけるかというと、非常にシンプルで、「死体を盗む」のです。
亡くなった方を儀式的に送り届けることで成り立っている商売ですから、このような妖怪に死体を盗まれるなどということは絶対にあってはならないことなのです。
――さて。このような話を聞かされたとして、あなたは信じることができるでしょうか? 私が新人の頃、ベテランの(おじいちゃんでしたが)職員に上記のように教えられたのですが、当然そんな話信じることはできませんでした。それこそ、業界ならではの「都市伝説」的な何かだとばかり思っていました。
しかし、私はすぐに「火車」に遭うことになります。
それは私がようやく炉での遺体を焼く作業に慣れてきた頃の事。
その時の亡骸は死後かなりの時間が経っている、自殺してしまった中年男性のものでした。私達は焼却前の亡骸を見ることはできないので、聞いた話と、焼却中に炉の耐熱ガラスから覗いて見た姿しかわかりません。
その日は夏で、しかもかなり暑い日でしたので、独特な匂いが焼却前の棺から漏れ出していたのをよく覚えています。そして亡骸が焼却炉に移され、私達は燃え具合などを確認するために炉の裏側へまわります。(因みにですが――炉の裏側で私達は燃え具合の確認や、時には亡骸の位置調整を棒等で行うのですが、その炉の裏側は気絶しそうなぐらい暑いのです)
今でこそ普通にこなす作業ですが、最初の頃は「人が燃える」という不思議な光景になんとも言えない気持ちになっていました。
亡骸の燃えていくのを確認していた時、隣に付いてくれていたベテランの先輩が私に教えてくれました。
「このホトケさん、自殺するまでかなり色んな悪事してきたらしい」
「……どういう意味です?」
「火車だよ。あいつら、基本的には手当たり次第だけど、悪事してきた人間の死体は特に盗みだがるんだ」
……火車。まだそんなことを言っているのか? と私は訝しみました。
妖怪が死体を盗むなんて話をこんな状況でするなんて不謹慎なのでは?
――そう思いながら炉の中に目を移した私は、思わず大声を上げました。
炉の中を、裸のネコのような、なんとも言い表しにくい動物が駆けまわっていたのです。良く見ると、その動物は人力車のような車を引いているのも見えました。
先輩は私の背後で違う作業をしていました。しかし先輩が大声をあげた私を見ながら「どうした?」と尋ねてきます。
「もしかして……」
私は震えながら先輩にすがるような視線を向けました。
先輩は何かを察したのか、すぐに私を押しのけ、小窓を覗きこみました。
「バカ野郎! 火車が来ちゃってるじゃねぇか!」
とにかく私は混乱しました。
絶対に入る隙間などない、灼熱の炉の中を、不気味な動物が車を引いて走り回っている……。
先輩はすぐに棒を手に取り、炉の中に入れました。
私はその棒で火車を叩いたりするのだろうと思ったのですが……あろうことか、先輩は亡骸の額を棒でたたき始めたのです。
「先輩! 何してるんですか!」
私はその時、生まれて初めて仕事場で殴られました。先輩の顔は真剣そのもので、それこそ鬼気迫るものがありました。
先輩は何度も何度も、亡骸の額を棒で叩きます。その間も亡骸の周りをぐるぐると駆け回っている火車。
すると突然! 火車がピタっと走るのを止め、苦しそうな表情を見せました。そしてすぐに、炉の壁に吸い込まれるように走り去って行ったのです。
先輩は棒を炉の外に戻すと、額から噴き出た汗を拭いました。
「いいか、二度とこんなヘマはすんなよ」
先輩は真面目に、私を諭しました。
「いやぁ、この骨は見事ですね! こんなに丈夫そうな骨は初めて見た」
その後、先輩は遺族とそのような話題で和やかに会話していました。後々知るのですが、火葬場では案外明るい雰囲気の会話が多く飛び交うものなのです。加えて、亡骸の骨を褒めることは火葬場関係者のお得意の切り出し方で、これまた案外遺族の方は喜んでくれるのです。
その時の先輩は、火車の一件があったからなのか、いつも以上に遺族の方と長く話をしていました。
「葬儀屋と仏具店はな、人間がいる限り不景気知らずの商売なんだ。でもそんな無敵に見える商売にも敵はいる。それが火車だ。俺らを信頼して焼かせてくれてる人らの大事な亡骸を、盗まれましたなんて言えるか? この仕事がつまらんと思うのも、適当にやるのも、それはお前次第だし、どうでもいい。ただ、火車に死体を盗まれることだけはしちゃいけない。それだけは覚えておいてくれ」
これが、先輩が僕に諭した内容でした。
また、あの時先輩がしていたこと――亡骸の額を叩くという行為――は、火車の嫌う音が額のドコカから出るのだそうです。撃退法は色々あるのですが、あの時はそうするしかなかった、と先輩は言っていました。また、「炉の中に出られた時が一番厄介」だとも言っていました。
私はこれまでに4度、火車に遭い、撃退してきました。しかしあの日、初めて火車を見た状況に比べれば容易いもの。私は初遭遇で最難関を経験したのですから。
もし、葬儀関係で働こうと思っている方がいれば、ぜひ私がここで公にした「火車」の存在を心のどこかに留めておいて欲しいです。葬儀屋の唯一の敵――ですから。